法窓小話

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河童と公害〜『現代民話考[1]』より〜

『現代民話考』は、少ない時間を作っては読んでいる一冊です。この本は、様々な人々が語った明治以降の不思議な出来事を録取したものです。本書では、第一巻として、「河童・天狗・神かくし」に関する話を載せています。これを読んでいると、時代の変遷があろうともたくみにその姿を変え、人々の語りの中で命脈を保つ不思議なコト・モノのかたちを探ることが出来て大変興味深いです。

本書の中でも、昔から語り継がれ、書かれ/描かれ続けてきた不思議なモノ・コトの、現代における発展形態を語ったものとして面白いのが、「十四 河童の悩み」の章にある河童と公害にまつわる話であります*1。これを要約すると、ある村に昔からいた河童たちが、川の公害汚染に耐えかねて川から消え、村人らは二年後に川の汚染を知り、河童に謝るというものです*2



河童の実在は置いておくとして、この話で私は、河童を登場させた人々の心性にとくに興味を抱きました。すなわち、なぜ人々は河童の存在を語ったのか、河童を登場させることに何の意味があるのか、ということです。公害が発生しているならば、「魚に異常がでた」とか「その魚を食べたら、身体に異常が生じた」などの語りをすることも可能です。しかし、この河童のエピソードは、他の公害による各種汚染事例と異なったいくつかの特徴を持っていると思います。そして、その特徴にこの話の語られない部分に込められた意味があるのではないでしょうか。


そこで、今回は、この話の分析を通して、語り手たる村人の視点から、なぜ河童を登場させたのか、この話で何を語りたかったのかを探りたいと思います。



まずは、この話の特色を、村人と河童の関係を注視しつつ拾い上げていきたいと思います。

第一に、村人と河童が親密な関係にあることです。いくつかのエピソードからは、河童が村の生活にとけているさまがうかがえます。

第二に、河童が川の水の異常を訴える点です。ただし、見た目には何の変わりも無い水であるとされています。そのため、村人たちは、河童の話に耳を傾けていませんでした。村人たちが、川の水の異常を知るのは、これから約二年後のことです。

第三に、河童が山に去っていった点です。第二の点は、村人たちが河童たちの訴えを「聞いた」話ですが、これは河童たちが山に立ち去って言ったのを「見た」かのように語られています。それとも、山に立ち去っていく足音かなにかを「聞いた」のでしょうか。私は、「よろよろと山へ立ち去った」という表現からは、視覚的なものに感じました。

第四に、村人たち自身は助かっている(らしい)ことです。このエピソードにおける被害は、川と米の汚染のみであり、村人の誰かに何らかの被害が出た話は出ていません。あとで、村人たちは、河童に「お前らのおかけでわしらは助かった」と述べている点からも、被害がないような印象を与えます。

第五に、村人たちが自分たちの過ちに気付き、山へ行き河童に謝った点です。これに対して、河童は百年したら戻ってくるから、それまでに川をきれいにしておいてくれと、霧のおくからかすかに答えたと語られています。


以上の特徴を踏まえて、この話を河童と村人の関係という点から要点を抽出するとこんな感じになるでしょうか。

1 河童と村人は、昔から緊密な関係を築いていた
     ↓
2 ある日河童が水の異常を訴える。しかし、村人は無視
     ↓
3 河童、山に消える
     ↓
4 河童の消えた川から、汚染が見付かる
     ↓
5 村人、河童に謝る


ここまで見てきましたが、では、一体河童は何のために登場したのでしょうか。
この話で、河童が果たしている役割は、川の公害汚染を村人に知らせたことです。言い換えると、河童の言動を通じて、目に見えない川の汚染が村人たちに可視化されているのです。そう考えると、この話には河童・村人という登場主体の他に、川という登場主体がいることに気付きます。
すなわち、この話で公害汚染の被害者である川は、直接村人たちに語ることができないので、河童を代理人として、自らの被害を「訴えた」と見ることができます。そうすると、ここで「河童と村人」という関係ではなく、河童を媒介とした「川と村人」という関係が新たに浮かび上がります。



そこで、川・河童・村人という三者の関係からこの話の要点を抽出してみます。

1 村人と川に棲む河童は、昔から緊密な関係を築いていた
     ↓
2 河童、川の水の異常を訴える。しかし、村人は無視
     ↓
3 河童が、川から出て行き、山へ立ち去る(川は汚染を訴える手段をなくす)
     ↓
4 川が汚染されていることを村人たちが認識する
     ↓
5 村人、河童に川の汚染を知らせてくれていたのに無視したことを謝る。河童、百年後川に戻ることを約束する

あまり上との違いが明確になっていない嫌いはありますが(苦笑)、この話が「河童と村人」ではなく、実は「川と村人」に主眼が置かれていることはわかると思います。



では、村人たちは、川・河童という登場主体を出すことにより、この話で何を語ろうとしたのでしょうか。
それは、村人たちが川の汚染に気付かなかったことに対して、後世に川を汚してしまったことを伝えようとしたからなのではないかと考えます。これは、河童が最後に、「百年したらもどっていくさかい、それまで川をきれいにしておいてくれえ」と語っていることからうかがわれます。百年後という、たいていの人の一生よりも長い期間を指定していることから、この台詞は、当時の世代の村人が子孫たちに川をきれいにするよう努めるように教え諭しているように読めます。

この話を語り継いでいくことが、生活に密着していた川の汚染を見逃してしまった村人たちのせめてもの償いなのかもしれません。そう考えると、河童の最後の台詞には、村人たちの自戒の念とともに、きれいな川に戻そうという意志をも読み取れるような気がします。



以上、ながながと書いてきましたが、これらは飽くまで私の思い付きをつづったにすぎません。人の心性を考察すると言うのは素人芸ではそう簡単にできるものではありません。ただ、「河童と公害」と言う興味深い話であったため、この話の語られない部分についてつい空想が広がってしまった次第です。


いつか暇ができたら、このような素敵な河童話を生んだ彼の地へ足を運んでみたいものです。



現代民話考〈1〉河童・天狗・神かくし (ちくま文庫)

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*1:松谷みよ子『現代民話考[1]』筑摩書房、2003年、179頁-180頁

*2:要約すると、全く味気ないものになってしまいましたが、これは私の文章力の問題です。興味のある方はぜひ本文にあたってください。